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チーズはどこへ消えた? 感想 追記した

チーズステーションにて
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『チーズはどこへ消えた?』 スペンサー・ジョンソン

 

ビジネス書の入門として有名な本。名前は色々なところで聞いたことがあった。

この本を読んでの感想は人によって様々だと思う。単純だからこそ考えられることが多い。


 

ざっくりと解説すると、チーズが迷路から消えてしまった時にどうするかについてのお話。二匹のネズミは単純に新しいチーズを探しに行った。二人の小人の片方はチーズが消えた原因を探そうとし、もう片方は不安から迷路へ進めなかった。結果としては不安を乗り越えて新しい迷路へ進んだらチーズが見つかった。つまり不安を恐れず挑戦する必要があるということ。

 

この話を読んで思ったことは、最初はチーズがなくなった場所でチーズを探すことをしていたヘムが間違っていると思った。しかし段々とホーもそこまで良い存在ではないのではないかと思い始めた。よく考えるとホーは最初流されるように見えてヘムに決断を任せている。自分の不安を他人に任せている。だからこそ不安を感じたのかもしれない。その時ヘムは自信を持ってチーズを探していた。ヘムにはその時不安は感じていなかったように感じられる。少なくとも自分がヘムだと思う人はその時点ですでにホーなのだと思う。

私が感じたことは結局最後には自分の決断を信じることが必要だということ。

 

この話の中で私たちは誰もがホーの様だと感じ、チーズを探しに行かなければいけないと思う。そしてスニッフとスカリーのように行動することが正しいと思う。ただ結局ヘムにも(少しは)いいところはあったし、スニッフとスカリーにも悪い点はある。一概にこうなるべきとは言えないと感じた。

ただどうしようもないまさに迷路にいる時はこの話から学べることは多くあると思う。時として単純に考えることはとても重要になっている。

 

でも自分にとってのチーズは何だろうと疑問に思った。お金も社会的地位もブリーやカマンベールのように種類があるだけで同じチーズなのだろうか?

結局はチーズを求めるために挑戦するしか見つける道はないのだからやるしかない。

幸い今のところ私はチーズを見つけるために進んでいると思っているが、常に新たなチーズを見つけていけるようにしたい。カマンベールを見つけたから満足ではなく、新たなモッツアレラチーズのようにもっと好きな味を見つけられるかもしれないから。

 

 

追記 4月1日

隙間時間やふとした時間に感想や思ったことをつらつらと考えていた。時間をおいて考えてみて、私はホーやネズミなんだと自己認識していると気づいた。そのため逆にヘムに憧れがある。自分の行動に疑問を持たずに決意で行動する。私はヘムの要素が必要なのだと思う。

ネズミの行動は単純で、チーズがなければ違うところを、それまでと同様に探すために行動する。一見してチーズを見つけられるならばいいかもしれないが、反対に行動パターンが変わってないともいえるのではないかと思う。まあネズミはネズミなので私達が人からネズミになる必要はない。しかし何事も学ぶことはある。それがチーズの変化に気づくこと、チーズを見つけるまでの行動をまたできること。

反対に小人の行動は変化に気づかず、理屈をこねくり回してその場にとどまっている。おそらく私も小人である。そして片方の小人は迷路に飛び出し、片方は残った。この時にヘムに憧れるところは自分の判断に自信を持っていること。私は常に自分の行動に疑問を持っているし、不安しか抱えていない。チーズを見つけるためにその自信は過剰であったと思うが、この自信にホーは納得した。誇張表現かもしれないが、カリスマ性を持っているともいえる。このカリスマ性が少し羨ましい。登場している人物の学びたいところを少しづつ自分に落とし込んでいけるようになりたい。

 

ランニングシューズを履いたネズミの表現、想像するとかなり可愛い

 

チーズステーションにて

この記事を書いた人

英語力がようやく普通の人になれた一般人。ミステリーが好きだが他のジャンルも読みたいと思っている。
世界遺産検定 2級
色彩検定   2級
FP      3級
簿記     3級   保持
簿記2級挑戦中

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